②福島県南相馬市青葉幼稚園での楽つみ木広場レポート

レポートその2
青葉幼稚園での楽つみ木広場開催レポート



阿部さんと新川さんに私の車に乗ってもらい、日高町(12月6日追記:南相馬市小高区の間違いでした)に向かいました。
広い広い、田んぼであったと思われる土地。しかし津波の被害を受けたため稲穂は見えず、もしかしたらそこに住宅もあったのかもしれませんね。雑草がただ生えていました。少し前までは、そこに船が転がったりしていたそうです。
日高町には、誰もいませんでした。
地震で傾いた家屋がそのままで、ガラスが粉々になっていたので入り口から中が丸見えで、そこにはぬいぐるみや食器、テーブルなど生活の香りが残されていました。震災翌日には避難を余儀なくされたため、片付ける暇がなかったようです。
この街の中にも黒い不気味な袋が点在していました。
家屋から出たがれきやゴミ、不要品などは、放射性廃棄物扱いで収集してもらえないのだそうです。なのに、数ヶ月後には帰還準備に入るということがそもそもおかしいとお二人はおっしゃっていました。
昼間の立ち入りは許可されていますが、夜間の滞在は禁止だという日高町(同じく追記:南相馬市小高区)の大通り。商店街が長く続く立派な街ですが、人は誰もいません。車もいません。なので、道の真ん中で通りを撮影しました。
今年はお祭りが復活したそうですが、子供や若い人がほとんどいなかったため、少し寂しかったそうです。

日高病院(同じく追記:小高病院)の前も通りました。ここは震災の後すぐに救護所になった場所だったそうですが、閉鎖されていました。
新川さんがお勤めされていたという福祉センターは、復興ボランティアのための施設になって、車と人の気配がありました。
それ以外は、人の気配はありません。
死の街という表現を使った政治家が叩かれたけれど、こうなってしまってはそんな風に言われても仕方がないと思うと新川さんがぽつりとおっしゃいました。







その後海岸線に向かいました。
私がその風景からすぐに思い出したのは、YouTubeで見た、南相馬を襲う7メートルの津波というようなタイトルの動画でした。
すぐそこに見えているあの海から迫ってくる巨大な津波を見たらと想像したら、鳥肌がたつほど怖くて、あの日にここで津波を見た人がいたら、どんなに恐ろしかっただろうと思いました。
舗装された立派な道路だったという場所は、砂利道でした。アスファルトがめくれてしまったそうです。ガードレールもどこかへ行ってしまったそうです。通行止め箇所もありました。
1階部分が津波の被害を受けたのでしょうか、裏まで筒抜けになっている家屋、傾いたままの家屋、瓦が落下した箇所をブルーシートで止めてある家屋、きっと3月11日のままなのでしょう。
あちこちで道路工事をしているものの、なんと言うか、時が止まっているという印象を受けました。
福島の復興は、宮城や岩手に比べて遅れているという報道が、飲み込めました。私は宮城にも岩手にも行っていないので比べることは出来ないですが、原発事故が物質的な復興も人々の心の復興も遅らせているというのは、ほんの少しの時間でも感じることが出来ました。







阿部さんと新川さんにお土産を持たせてもらい、飯館村の近くまで送っていただきました。
11月3日を楽しみにしています、お待ちしています、と言葉を交わして。

帰り道も除染作業中の飯館村の風景を目に焼き付けながら運転しました。
往路の不安な気持ちはありませんでしたが、もう一度その光景を見たことで、今後のことが改めて不安として残りました。
そして、イベント当日にどのような言葉で皆さんに伝えよう、何を伝えよう、きちんと伝えることは出来るのだろうか、どこまで話してよいのだろうか、そればかりを考えていました。
結局イベント当日は言葉が詰まってしまって言いたかったことの全てを皆さんにお伝えすることは出来ませんでした。せっかくの機会を、不甲斐ない結果で終わらせてしまったことを後悔しています。
ただ、涙で詰まってしまった言葉は、それはそれで、何かを感じていただけたようです。何人かのかたから感想を頂戴いたしました。

私のこのような文章だけでは、お伝え出来ないことがたくさんあります。
また、途中に書きましたが、悲観的な表現も使いました。
ただこれはあくまでレポートという形で、忘れないうちに全てを書き留めておきたいと思った私の覚え書きのようなものであります。
それをご承知いただいた上で、今後1人1人、それぞれの皆さんが何か出来ることをと思って下さることを、望んでいます。
それは、私に出来ることがないかと思い悩んで、今の活動に行き着いたように。

LOVE SAVE JAPANの活動は今後も続いていきます。
もしかしたら活動の内容は変わっていくかもしれません。
最初は津波遺児基金を集めるための活動が、楽つみ木広場の開催を支援することに変わって来たように、必要とされる支援の形が変化することもあるでしょう。
皆さんは、ちょっとで申し訳ないけれどとおっしゃって募金や品物を下さいました。しかし、ちょっとずつが大きな力になって今回の結果になったと思うのです。
楽つみ木1000個購入という目的のほかに、6園に楽つみ木広場をプレゼントするだけの募金が集まりました。
事務局7人だけでは出来ないことを実現させてくださったこと、心から感謝申し上げます。
そして、今後もご支援くださいますよう、お願いいたします。
私が感じて来たことを全部はきっと書けていないと思いますが、ここまでお読み下さったことに感謝いたします。

私の道のりを、心配して、応援してくださった皆さん、ありがとうございました。
またいつか、子供たちに逢いに行きたいです。




あとがき

長く拙い文章を最後までお読み下さり、ありがとうございました。
個人的なことですが、LOVE SAVE JAPANの活動に関わらせていただき、このような機会を与えていただいたこと、心より感謝しております。
知ろうとしなければ、速い速い時の流れに全部流されてしまう事柄ばかりの昨今、本当に大切なものとは何だろう、人の心に寄り添うとはどういうことなのだろう、改めて考えることが出来ました。
どうぞ皆様も、今一度、大切な人のことを考えて、大切な人の手を握って、そんなことを思ってみてください。
今も悲しみの中にあるたくさんの人たちに、一日も早く、心穏やかに過ごせる日々が訪れますよう、毎日お祈りしております。

2014年11月30日    堀内



レポートは以上です

長い文章をお読み下さりありがとうございました

お陰さまで募金総額は325700円となりました
このことにより
福島県南相馬市みなみ幼稚園に1000個のつみ木をプレゼントすることが出来たのに加え
全部で6つの園に1回ずつのつみ木広場をプレゼントすることが出来ます

本当に本当にありがとうございました!

どうぞこれからも、ご支援、宜しくお願いいたします

心から心から感謝申し上げます






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